2017年8月17日木曜日

小学校時代の思い出話

今回はフィンランドでの生活の話ではなく、遠い遠い昔…小学校時代の思い出話です。

その昔通っていた小学校が廃校になったというのを、つい最近知ったのですよ。廃校になったのは2年余り前ということですが。

くうっけりが卒業してから、校舎も建替えられたし周りの環境も変わったしで、昔の面影なんてとうの昔になくなってはいました。卒業後、そして特にその地域から離れたあとはつながりもなかったわけですが、それでも「廃校」というのはショックでしたわ。「合併」とかじゃなくて「廃校」ですからね。


くうっけりの場合、「お母さんの子供のころはね…」なんて話を聞かせる子がいるわけじゃなし、「あの頃は懐かしかったねえ」なんておしゃべりをする相手もなし。

そんなわけで、ここに思い出話を吐き出すことにしました。

木造校舎

くうっけりが通っていたころの校舎は、木造平屋でした。その頃、その町内には8つの小学校があったのだけれど、当時でももう木造校舎は珍しく、町内の8校中、2校だけが木造だったと記憶しています。

校舎の写っている写真を探してみたのだけれど、意外にない! で、見つかったのがこの写真。(顔がぼけるように、画像全体を粗くしています)


運動会の写真。これは幼稚園児とお母さんたちがお遊戯をしているところ。幼稚園と小学校が一緒に運動会をしていたんですね。田舎だからこそ?

背景にある建物が校舎。写真に写っているのは、校舎全体の半分弱ぐらいかな。1年生~3年生の教室がある部分。この小学校、1学年1学級でしたので。

写真の左端にちょっとだけ写っている小さな建物は、確か「体育小屋」と呼ばれていましたわ。跳び箱とかマットとかボールなどの運動用具が置いてあった倉庫。

そういえば、替え用のガラスも置いてあったかな。ほら、ボールなんかで窓ガラスが割れたら、新しいガラスに替えなきゃいけないじゃないですか。高学年の男の子たちの中には、ガラスの交換ができるって子もいて、そんな子たちがガラス交換していることもありましたよ。

冬だけ設置する石油ストーブが置いてあったのもここだったかなあ。そういえば、ストーブの設置も、児童たちがやっていましたね。

今になって思えば、木造校舎で小学校6年間を過ごせたのは幸せでした。懐かしいなあ、木造校舎。

お掃除は、雑巾で水拭き。お寺なんかにあるような、あるいは昔の家の縁側のような、黒ずんだ茶色のすべすべの床。ニスなんて使わずに、雑巾がけだけでああなるんでしょうねえ。節目にところどころ穴が開いていて、そこから下をのぞくと床下が見えましたわ。

「廊下を走らないように」というのは、今でも小中学校で注意されていることなんでしょうか。「廊下を走っちゃいけないのは、走るとうるさくてよその教室にも迷惑がかかるからだ」と、くうっけりは小学校時代ずっと信じていました。木造校舎で上履き履いて廊下を走ると、ほんと、うるさいんですよ。その後、鉄筋コンクリート建ての中学校に通うようになった時に、「廊下を走っちゃいけないのは音のせいじゃない」ということに気付きましたけど。

卒業式とか入学式、あるいは発表会などは、校舎のほぼ中央にあった「図書室」で行われていました。「体育館」がなかったんですよ。そういえば「プール」もありませんでしたわ。年に1回町営のプールに全校児童バスに乗って行く、それが唯一のプールの授業。くーっけりが今でもあんまり泳げないのは、きっとそのせい…(って小学校だけのせいじゃなくて、考えてみたら、中学校にも高校にもプールはなかったわ。)

学校生活

入学式の記念写真です。白黒写真というところが時代を感じさせますねえ。あと、お母さんたちはほとんどが着物ですよ。


新入生とそのお母さんたち全員、校長・教頭・担任教諭、そしておそらく町やPTAの役員さんたち、みんなそろってこの人数。要は、当時から小さい学校ではあったわけです。

この時点で、このクラスメートたちとはすでに公立幼稚園で1年過ごしていました。そして小学校に入ってからも1学年1クラスだったので、同じメンバーで7年間一緒にすごしたことになります。途中、何人か転入・転出はありましたけど。

そのせいでしょうねえ、小学校時代のクラスメートの名前は未だによく覚えていますよ。なんとなく名簿順も覚えています。この小学校の名簿順は、五十音順じゃなくて、なぜか地域順だったんですよ。

うちのクラスは、高学年になっても男女仲良く遊んでいたので、先生たちも感心していたみたい。今思うと、男の子たちがすごくいい子たちだったんですね。高学年の頃は「でべそ」とか「変形でべそ」という遊びがクラスではやったんですよ、たしか。で、よく遊んでいました。


写真のほぼ中央の三角屋根のところは「給食室」と呼ばれていました。その昔、給食のおばさんたちが給食をこしらえていた部屋だ、という話でした。くうっけりの小学生時代には、もう学校では給食は作られておらず、給食センターから車で給食が運ばれてきていました。

うちのクラス(学年)は、食いしん坊で有名でして、よその学年で給食が余るとうちのクラスにまわってくる、なんてこともありましたね。

そういえば、くうっけりの小学生時代って、米の余剰について言われるようになった時期とも重なるのかな? 何年生かのときに、うちの町でも米飯給食っていうのが始まりましたね。その米飯給食のときには、お箸を持参しなければならなかったのだけれど、忘れる子っているじゃないですか。そういう子たちは、「庭で篠箸作ってこい」なんて先生に言われて、実際作ってましたよ。もしかすると、わざと忘れて篠箸作りを楽しんでいたのかもしれないなあ。


給食室の三角屋根の左隣の三角屋根は、トイレです。
当時のトイレはボッチャン式。男性トイレと女性トイレは分かれていませんでした。同じ部屋の一方の壁は立って用がたせるようになっていて、反対側にはドア付の個室トイレが並んでいました。さらには、トイレットペーパーなんて置いてなかった…。小さい用を足した時にトイレットペーパーを使うという習慣がなかったということか?!


写真の一番左の突き出た屋根は、教職員用の玄関があったところ。小学生時代、ここからの出入りは禁止されていました。だからこの場所の記憶はほとんどありません。


うちの小学校、当時も小さかったからなんでしょうかね(全校児童120人ぐらい)、保健の先生とか用務員のおじさんはいませんでした。その代り、よく庭仕事をされていた教頭先生を思い出します。その教頭先生、背広を着ていることよりも、作業着を着ていることのほうが多かった気がします。いい雰囲気を漂わせていた教頭先生だったなあ。

動物たちとTV取材

学校では、いろいろな生き物が飼われていて、「餌当番」なるものが順番にまわってきました。学年ごとに担当の動物が決まっていて、1年生がモルモット、2年生が小鳥、3年生がウサギ、4年生がカモ(当時「アヒル」ってよんでいたけれど、今思えばあれがどう見ても「カモ」)、5年生・6年生は…う~ん、よく覚えていません。七面鳥を世話した年もあったけど、あれは何年生の時だったろう?

学校は松林で囲まれていました。そこには、鳥の巣箱なんかもとりつけられていました。そして林の一角には、動物たちのお墓もありました。学校で飼っていた動物たちのためのお墓です。

いったい、どういう経緯でその学校で動物が飼われ始めたのかは知らないけれど、くうっけりが通った6年間のうちに、動物たちは徐々に減っていったように思います。ヤギもいたけれど、その子が死んでも新しいヤギはやってこなかったし、2羽いた七面鳥が1羽になってしまってから、その1羽の七面鳥はずっとひとりぼっちですごしていたし。

それでも、これだけ生き物を飼っている学校って、ちょっと変わっていたんでしょうか、それともだれかのつてだったのでしょうか? 今はなき「おはよう!こどもショー」の取材が入ったことがありました。ものめずらしくて、録画するのを全校児童で見学したのを覚えています。

今になって「え?」って思うこと

その1
運動会では、地区対抗リレーとかありましたけどね、くうっけりが小学生だった頃は「部落対抗リレー」なんていう言い方をしていました。卒業してたあと、いつの間にか「地区対抗」になっていたのです。やはりまずいっていうんで変えたのでしょうか?
でも、「部落」って言葉、うちの界隈では差別用語じゃなかったんですよ。おそらく、「集落」とか「地区」と同意。「部落」を差別していた地域の用法・考え方がこっちにまでひろがってしまったんですかね。

その2
中学校の制服を作るときは、業者が小学校にやってきて6年生児童たちのサイズを測ってくれて、一斉注文という形でした。この業者、当時の町長さんと同じ名前!そういえば、体操服もそのお店から買わねばなりませんでしたわ。今思うと、この業者と町長さん、絶対関係ありますよ。

その3
購買部というのがありました。校内の売店です。児童数名が販売を担当して、ノートとか鉛筆とか消しゴム、なんかを売っていました。学校でも文具を買えるように、学校が儲けなしで手配していたのでしょうか。よく分かりません。いずれにしても、5年生と6年生の担当者たちが、品物を販売し、現金を取り扱っていました。

その4
学校で預金をすることもできました。
預金日?に、通帳とお金をもっていって、預金してもらう。農協貯金だったかな?
これも、学校の高学年が担当して、現金をとりあつかっていたのですよ。お正月の後の貯金日なんて、結構な金額を取り扱うことになったと思うんですけどね。購買部の現金の取り扱いなんて、これと比べればかわいいものです。
ただ、これはその後なくなったのでしょうね。
くうっけりたちのクラスには貯金担当者がいた記憶がないので、おそらく私らが高学年になる前にこのシステムは消えたのでしょう。

その5
よその学校でも昔はそうだったのかな、雑誌『学習』・『科学』の学校内販売。学研の業者さんが、毎月学校に販売に来ていました。…そういう時代だったんですねえ。今じゃあとても考えられません。

久しぶりに見た級友たち

母校が廃校になったと聞いて、インターネットでそれについて検索してみました。そして、地域の新聞社がアップした閉校式の動画を発見!

学校の様相はくうっけりのころとは完全に変わってるのでそういう懐かしさはありませんでしたが、校歌は以前と同じ…懐かしかったですわ。でも何よりも懐かしかったのは、久しぶりに見た級友たち。動画の中で同窓生が2人インタビューされていたのですが、彼らがたまたま同級生だった!! 

高校卒業後地元を出てから、小学生時代の同級生に会うことなんてなかったので、ほんと○十年ぶり!! すぐにはピンとこなかったけれど、よくよく見ると面影ある!!! すご~く懐かしくて、こんな昔話をしたくなってしまったのでした。

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