フィンランドでの日常生活を綴っています。

火曜日, 3月 19, 2019

久しぶりの日本 ~ふるさと編~

event_note3月 19, 2019 editBy Kuukkeli (くうっけり) forum2 comments
生まれ故郷は、ちょとした田舎です。



とはいっても、そんなにド田舎というわけではないですよ。市街地はけっこう近いですから。でも、まわりの風景が自分が子供の頃とほとんど変わってない。世の中から取り残された感がある…そんな一帯です。

空き家・空き地

全国的にも問題になっているのだろうけれど、うちの部落(←差別的な意味合いは全くなくて「集落」と同様の意味。うちの地域では昔から日常使われてきた言葉なので、ここでもあえて使ってみました)にもありましたよ、空き家になってる家々。

それから、今は耕作されていない土地が結構ありました。畑だったところが雑木林化していたりもして…。昔は、家の建っていないところはほとんどどこも耕作地だったんですけどね。

お店がなくなった!

昔からお店なんてあまりなかった地域ではありますが、それでもノートやら駄菓子やらが置いてある小さな店や、やはり小さい店だけどお酒などを置いている店がありました。確か、数年前はまだあったような…

でも今回帰った時には、もうなくなっていました。なんでも、小学校学区内で(といっても何年か前にその小学校は廃校になったので「昔の」学区内になりますが)残っている店は1軒のみなのだとか。その店は確か、地域の家庭にプロパンガスの販売もしているんじゃなかったかな。それでどうにか生き残っているのかも。

農協って…

今はJAの名前のほうがよく知られているのかな。

今どきのJAって、介護事業や葬儀業も営んでいるのですね。一方で、地元の農協の建物のほうは、なんかとってもひっそりしてました。実家界隈の人口構成を考えると、まあそれもしかたないのかな。

「おめでた」と「おくやみ」

実家で見た市の広報誌。市内での「おめでた」と「おくやみ」が掲載されていいるページを見ると、今どきの人口構成がまりにもあらわ!「おくやみ」の数は「おめでた」の数倍!! 加えて、うちの昔の小学校区では、その月の「おめでた」は皆無。…小学校が廃校になるも無理ないわ。

市の広報誌が、今でも回覧板経由でやってきたのには、ちょっとびっくり。隣組みたいなやつ、まだ残ってるんですよね。うちの方では「常会」っていうけど。そういえば、新年会なんかは、まだその「常会」で毎年やってるみたい。

葬儀

実は今回帰国したのは、母の葬儀のため。

7~8年前までは、実家界隈でも、葬儀は自宅で、隣近所の協力のもとに行われていました。子どもの頃、両親ともに葬儀の手伝いに行っているときには、くうっけりたち子どもも、そこにおよばれに行ったものです。

当時の葬儀については、他にも断片的な記憶が残っています。出棺前に小銭が撒かれたことだとか、墓地に向かう行列だとか。

今の葬儀は、昔とはだいぶ変わりました。葬儀屋さんにお任せなので、あの葬儀前~葬儀後独特の喧騒さがない。葬儀を出す家もご近所も、昔から比べると楽にはなりましたよね。田舎でも多くの人が勤めに出ている今の世の中、昔のようなやりかたは、現実問題としてもう不可能なんだろうなあ。

地方議員って…

故人と全く面識がないはずの県会議員の代理人だという方が葬儀に来ていたり、近所でもないし全然かかわりもない市議会議員からの弔電が届いたり…

さすがに今の時代、香典をだす議員さんはいませんが(公職選挙法違反になるかららしい)、葬儀に来たり弔電出したりする必要はあるのでしょうか? 結局は宣伝したいだけ?

都会でもある現象なのか、それともこの現象は田舎に限られるのか? フィンランドだったら絶対にありえない現象。いずれにしても、とても時代遅れの慣習だと思うのですよ。もう一切やめればいいのに。



なんかネガティブな話ばかりになってしまったのは、ふるさとを見た時期のせいかもしれません。2月だし乾燥していたしで、自然そのものの活気があまりありませんでした。人の数が少ないので、自然の活気がないと地域全部が活気なく見えてしまう。

近所に子どもがいなかったというのも大きいかも。田舎といえど、昔は朝夕、通学中の子どもたちを目にしたけれど、そういえば今回、地元で子どもを一度も見かけませんでした。

高齢化も少子化も、確実に進んでいることを実感しましたわ。

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2 comments:

Takemomo さんのコメント...
議員さんの弔電はまだいいほうで…。
隣町の町長(故人)は町民が入院するとお見舞いに歩くことで有名だったとか…。
そしてそれが当たり前にということに更に驚き!

JAなんて言いません。
未だに農協。これはきっと電車になっても汽車と言い続けたり、国鉄からJRと言うようになるまで時間がかかったりと同じですね。

お葬式も自宅で執り行うには人手を手配できなくなりましたね。
幼い頃、親戚の母さんのあとについて歩きました。
手伝っていると、食いっぱぐれないので…(^^ゞ
Kuukkeli (くうっけり) さんのコメント...
お見舞いですか!かなり小さな町じゃないとできないですね、それ。
でも考えてみれば、本人がお見舞いに行くのなら、いちおう直接の交流をするわけで、それはそれでいいかもしれない。見舞いにきてほしくない人にとっては、困ったものだろうけれど。

世の中、なかなか変わらないこともあるけれど、変わらざるを得ないことも、これからどんどん増えていくのでしょうね。

最近はよく「昔は…」なんて、子供時代のことを思い出します。歳のせいなのかなあ…。
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