ウーマヤには自然もいっぱいあるのに、そこではなんと、煙突のてっぺんで馬を飼っていたりします。
なんてことは、もちろんあるはずもなく、これは芸術作品。
Umedalen skulpturpark(ウメダーレン彫刻公園←Wikipediaへ)にあった作品です。
公園には、他にもさまざまな作品がありました。どちらかといえば抽象的といえるような作品もあれば
とっても具象的な作品も…
上着のしわも本物っぽいですけれど、かなり細かく造られていまして、なんとこの服のメーカーさんまでしっかり区別できるぐらいのものでした。
で、この像がこんな風に立っていると
中に入りたいのに入れないのかな…なんて、かわいそうに思えてきてしまいます。
他にはたとえばこんな作品。
そしてこちらは、フィンランド人のカーリナ・カイッコネンという方の作品です。
彼女の作品といえば、ヘルシンキ大聖堂の前の階段に、ずら~っと並んだ上着…それが印象に残っています。それって数年前…だと思って、さっきネットで確認したら、14年も前の話でした。近頃、月日がたつのがちょっと早すぎ…
ここに行ったのは9月21日ですが、この時期はもう、紅葉が始まっていました。
10月中旬の今は、もうこれらの葉もきっと、ほとんど散ってしまっていることでしょう。
ウーマヤでの観光は、この公園が最後でした。
こちらは、帰りのフェリーを待っているとき、ウーマヤのターミナルで目にしたプレートです。
ウーマヤでの観光は、この公園が最後でした。
こちらは、帰りのフェリーを待っているとき、ウーマヤのターミナルで目にしたプレートです。
直訳的には、「1939~1946年に行われた、子供移送の記念」っていう意味???でもそれだと、とっても変な日本語です。「児童疎開記念」とでも言い換えればいいでしょうか?
日本でも戦時中は、都会の子供たちが田舎に疎開するっていうのがあったようですが、フィンランドの子供たちの疎開先の多くは、スウェーデンだったそうです。スウェーデンは、大戦には参戦していませんでしたし。
戦時中は、この港にも、フィンランドから子供たちがやってきたのでしょう。そして戦後は、ここからまた、母国に帰っていった子供たちがいるということなのでしょう。
日本でも戦時中は、都会の子供たちが田舎に疎開するっていうのがあったようですが、フィンランドの子供たちの疎開先の多くは、スウェーデンだったそうです。スウェーデンは、大戦には参戦していませんでしたし。
戦時中は、この港にも、フィンランドから子供たちがやってきたのでしょう。そして戦後は、ここからまた、母国に帰っていった子供たちがいるということなのでしょう。
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ということで、ウーマヤ旅行の話は今回でおしまいです。
ところで旅行中は2人部屋に宿泊でした。見ず知らずの団体企画の旅行に一人で参加したので、ホテルでのルームメートも全然知らない人だろうと思っていました。でも、ふたを開けてみたら、その昔同じ学校に通っていた、1学年違いの同じ学科の子。お互いびっくりの、うれしい偶然でした。
ところで旅行中は2人部屋に宿泊でした。見ず知らずの団体企画の旅行に一人で参加したので、ホテルでのルームメートも全然知らない人だろうと思っていました。でも、ふたを開けてみたら、その昔同じ学校に通っていた、1学年違いの同じ学科の子。お互いびっくりの、うれしい偶然でした。